2009年07月01日

校歌を三たび

校 歌   (首里高)

山口泰平作詞
糠塚卯助作曲

一、
仰げば高し弁が岳
千歳の緑濃きところ
眺めは広し那覇の海
万古の波の寄るところ
これ一千の学徒らが
競(きお)い立つべき聖天地

二、
それ海南の一弧島
世は濁浪の寄せくとも
自彊の巌永久に
進取の船に棹さして
たゆまず進めわが友よ
理想の岸は遠からじ

三、
ああ果てしなき海原も
雲にそびゆる高嶺も
渡るに何か難からん
超ゆるに何か難からん
われに不断の努力(ちから)あり
われに一如の至誠(まこと)あり

四.
古城のほとり咲き匂う
文化の華を偲ぶれば
我らが本務(つとめ)軽からず
いで中山の若人よ
若き血潮のよどみなく
奮い励まん諸共に




  

Posted by 砂川芳博 at 19:54Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2009年06月28日

首里高校3回戦へ!

第91回全国高校野球選手権沖縄大会

五日目の6月28日(日)
▽2回戦
首  里 - 知  念 は 10:0で首里が6回コールド勝ち

3回に1点先制した首里は4回から代わった知念高校の2番手3番手投手陣から
3ランホームランなどで6点、打者一巡の猛攻、4回までに7:0と大きくリードした。
投げては1回戦で完封した座波が6回を無得点で抑えた。




次の3回戦は興南高校とぶつかることが決まった。




この日沖縄地方は梅雨明けした。  

Posted by 砂川芳博 at 12:32Comments(0)TrackBack(0)野球 甲子園

2009年06月25日

一中健児之塔慰霊祭

6月23日の首里金城町養秀の杜
梅雨明けを思わせる暑さのなかに
時折心地よい風が
吹き出る汗を乾かしてくれた

よどみなく 奮いはげみし 健児らの
    若き血潮ぞ 空をそめける


    (一中健児之塔の歌)
   作詞 仲宗根政善
   作曲 仲本 朝教

首里高校の校歌の四番に

 いで中山の若人よ
  若き血潮のよどみなく
   奮いはげまん諸共に 

    から引用していることに今日気づいた


きょう6月23日は「慰霊の日」
行ってきました「一中健児之塔慰霊祭」。

先日、同窓会事務局で住所が判明している約2万人の一中・首里高校同窓生に送付させていただいた「養秀ニュース」でご案内し、かつ自ら36年ぶりに参加すると編集後記で宣言した「一中健児之塔慰霊祭」ですが、とにかく素晴らしい式典でした。
今年の参加人数は約1000人余り、例年より多いそうです。

300人余の犠牲になった遺族の参列は64年の月日の中で確かに毎年減っているようです。
それでも遺族は150人余り、孫たちの代まで引き継がれてます。

首里高校からは650名余。1年生は平和学習の一環で復帰後あたりから休日返上全員参加の義務付け。2、3年生は各クラスの代表が2名以上。ほかに吹奏楽部、合唱部、放送クラブ、奉納演舞をする空手、剣道、なぎなたの各クラブ。
湯茶の接待をする染織デザイン科の女子生徒、受付案内をする弓道部のメンバー。式典中の1時間余り、私語一つない1年生らの真摯な態度にまず感動!さすが首里高生だなあと。

同窓会は例年より多い200名余。合計1千人以上が集い、先輩の御霊を追悼した。
吹奏楽部の厳かな演奏と合唱部の美しい歌声が養秀杜の葉ずれの音と混ざりあう。

なんて厳かな慰霊祭だろう! 
1千人余りの人が場にいるのに、人の話声は何も聞こえない異様な静寂。

来年ぜひ行ってみてください。あなたもきっと何かを得るでしょう。

これからの慰霊祭は、学校まかせでなく我々40〜50代の卒業生が中心となって健児之塔を守っていかねばという思いを強くした。













































































  

Posted by 砂川芳博 at 03:56Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2009年06月09日

養秀の杜にて

養秀同窓会事務局で広報担当のしごとをさせてもらってます。
3万人余り(住所把握は約2万人)の同窓会会員諸氏への広報活動、
広報誌の作成・一中慰霊祭や総会の呼びかけ…いろいろです。

二中・那覇高校が来年百周年行事を控え財界も巻き込んで活発に活動しているようですが、
首里高校は創立百三十周年、尚温王代の「国学」の時代から数えて二百十年目です。
おそらく日本の寺子屋よりも古いから、ジャパンでもナンバー1かもしれません。

そんな学校に皆さんと、たまたまだけど3年間だけ一緒にいられたことを誇りに思います。


 今年もまた64年目の夏が養秀の杜にやってくる   
  

Posted by 砂川芳博 at 18:50Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2009年06月04日

同期会11&22期


THE同期会 11期と22期、最終原稿印刷済みです。  

Posted by 砂川芳博 at 16:07Comments(0)TrackBack(0)養秀ニュース

2009年05月30日

養秀ニュース

養秀ニュース(全8面)上がってきました。
6月10日頃到着を目処に発送作業に入ります。

1面

2面

4面

8面
  

Posted by 砂川芳博 at 04:51Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2009年05月29日

同窓会関連の案内

同期生会名簿等に住所掲載を拒否された方
昨年十二月以降住所に変更のあった方 へ

残念ながらあなた様のご自宅に、同期生会の案内状や養秀同窓会関連の発送物、また今年からリニューアルした「養秀ニュース」等が送られてくることは永遠にないでしょう。


やはり同窓会関連の発送物等を送ってほしい方は、平成二十一年六月七日までに砂川までお知らせいただければと思います。  

Posted by 砂川芳博 at 04:24Comments(0)TrackBack(0)お知らせ

2009年05月27日

2009年05月23日

2009年04月26日

「海邦養秀」額に題す

この文章は歴史家・東恩納寛惇先生が昭和三十四年(一九五九年)に沖縄県立第一中学校・首里高等学校創立八十周年記念誌『養秀』に投稿いただいた~「海邦養秀」額に題す~より転載したものです。さらに創立百二十周年記念『養秀そうし』よりより転載された文面を元に原文を尊重しつつ現代かなづかいに直すなどできるだけ若い方にも読みやすくするために多少手を加えたものです。



「海邦養秀」額に題す
  東恩納寛惇




 この額は、もと本校の前身である県立一中の表玄関に掲げられてあったもので、本来首里の国学から移管したものである。書風の美と、文句の善によって、有名なものであったが、過般の戦災で失われたのは千秋の恨事であった。阿波根校長着任以来その復元を企画され、今回漸く完成を見、本来の偉観を取り戻すことのできたのは、同慶のいたりである。

 事新しくいうまでもなく、この文句及び書は、時の国王尚温の作で、尚温は近代まれにみる名君で、特に沖縄教学の基盤をおいた人である。尚敬・尚穆(しょうぼく)二代は沖縄文教興隆期で、程順則・蔡温等の碩学(せきがく)もこの時代に出た。尚温は、尚穆の孫として一七八四年に生まれ、世子尚法が二才で夭亡(ようぼう)したために、そのあとを承けて世子に立ち、一七九五年、十二才で王位を践(ふ)んだ。

 尚温の生まれる前年には、例の阿嘉直識遺言状が出て、又五十年前には蔡温の教条が発表されて、直識らもその感化を受けたものであった。されば尚温も亦この時代の思潮にのって生まれたるものといえる。蔡温は初め朱子学を学び、後に実学に転じた人で、現に国王尚敬の国使として、実学真秘を進講した。

 実学は、清初に、直隷の人、顔元(習齎)が唱えた学風で、従来の陸王学や朱子学が、理論に奔るキライあるをうとんじ、社会全体のために実利実用の学をたてんと期し、「墾荒・均田・興水利」の七字を以って標語とするもので、蔡温一代の業績も亦この七字につきている。而して顔元の思想は遠く荀子の系統を引くもので、荀子が孟子を非難した言に、「弁にして用なく、事多くして功すくなく以て治の綱紀とすべからず」とある如き、明らかに、実功を重んじたその思想を認むべきもので、その門人たる韓非子に至って、不言実行を提唱したのも尤もである。荀子の言にまた「信を信とするのは信なり、疑を疑とするのも亦信なり、賢を尊ぶのは仁なり、不肖を賤しむも亦仁なり」とある如き一種の法理論で、この思想が李斯(りし)、韓非子等の法家の発足となっていった。

 一七九五年、尚温十四の時に、例の官生事件がおこった。これまで久米村から四人出していた北京留学生の中、二人だけは首里から出し、又従来詩文経籍を主とした科目をあらためて、政治経済の研究に当たらせる構想で、久米村の猛烈な反対をおし切って実行にうつし、その翌年首里松崎に国学を創建し、久米村中心の芸文がはじめて首里に移った。

 海邦養秀額は、国学創建の際、尚温自ら揮毫して、正庁に掲げたもので、その翌年の一八〇〇年に、詩人として著名な李鼎元(りていげん・墨荘)が冊封使として沖縄に来た。滞在中李大人はその書簡を見て、国王の能書はかねがね耳にはしていたが、親しく接するのはこれが始めで、「松雪の筆意、この役第一の家宝を得た」とよろこんだ。李大人が尚温を評した言に、「世孫、年十七、厚重簡黙、儀度雍容白哲にして豊頣(ほうしん)」とある。色白でおっとりした、口かずの少ない福々しい人相が目に見えるようで而してその人柄が額面にも遺憾なくあらわれている。

 冊封の式場で、李大人は「海表恭藩」四文字の嘉慶帝の勅額をもたらし、且つその題字の意義を敷衍(ふえん)して、「聖朝道を重んじ、文を右にし意を加え、仁義礼楽を以て万邦を懐柔する」主意を述べた。この時から約二百年も前の一五七九年に万暦帝は「守礼之邦」の勅額を国王尚永に贈ったことがあったが、海邦養秀の「海邦」という成語はおそらく海表と礼邦とを組み合わせたものであろう。国学創建の時、尚温が学生を集めて一場の訓旨を与えた中に、「教化を興し、人材を育せば、風教修明、賢才尉として起らん」の語があるから、養秀と云うのは、「人材を育する」意味であることは勿論であろう。尚温は同じ訓旨の中にこんなことも云っている。

 学問はすべて実行にうつさなければ何の役にも立たない。権勢におもねり、私利を営み、党派をかまえて、他人を陥れる如きは、深く戒むべきことである。

 特に学問に精励し、実績をあげたものは、凡民の子弟であっても抜擢する。しからざるものは、名門の子弟であっても容赦はしない。

 これは荀子勧学篇にも略々同一のことを云っている。尚温の思想が荀子に出て実学の感化を受けていることは、これによっても明らかで、空理空論に奔らず、実際に即して、有用の人材を育成し、礼邦恭藩の名に添う文化国家を建設せんとした趣旨を十分にうかがうことができる。

 されば「海邦養秀」の文句は吾が郷学の指針であると云える。特に今日吾等の郷里が外国の植民地となって了(おわろ)うか、一千年の文化をふりかえって、郷国の名分を完(まっと)うするかの瀬戸際に立たされている現状で、青年学徒が真に「海邦養秀」の真意を体得して民族的自覚を取りもどすことは、極めて意義あることで、この時この際この額が復元して、諸子に一大指針を与えたことは、天の啓示であると考える。




東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)一八八二~一九六三
 歴史家。号は虬州(きゅうしゅう)。一中の前身、沖縄県立中学校を卒業し、東京帝国大学文科史学科に進み国史を専攻。六十年かけて収集された蔵書は、東恩納寛惇文庫として沖縄県立図書館に所蔵されている。沖縄研究の業績は、前近代を中心とする歴史研究やその他に地名・人名・医学・工芸・芸能・文学・物産など幅広い。『東恩納寛惇全集』(全十巻・別冊Ⅰ、第一書房)などを著す。  

Posted by 砂川芳博 at 13:14Comments(0)TrackBack(0)海邦養秀

2009年04月09日

養秀同窓会事務局より

「沖縄県立首里高等学校同窓名鑑」は同窓会とは関係ありません。

 大阪の「人事新報社」なるところから、「沖縄県立首里高等学校同窓名鑑」を発刊するのでご協力をお願いしますとの趣旨で同窓生の皆様に往復ハガキが送られていますが同窓会とは全く関係ありませんので確認のうえ対応ください。

 また、130周年記念事業の中で「同窓会名簿」は個人情報との関係で発刊する予定はありません。
なお、同期会・クラス会等の開催に必要な場合は、事務局にて閲覧は可能です。


平成21年4月7日
養秀同窓会事務局
(座安・新垣・崎濱)


ちなみに砂川には何も届いていません。
  

Posted by 砂川芳博 at 20:47Comments(0)TrackBack(0)お知らせ

2009年03月29日

人生の扉







春〜内地は桜がきれいです。  
タグ :人生の扉

Posted by 砂川芳博 at 17:31Comments(0)TrackBack(0)人生の扉

2009年03月26日

春だったね

♪僕を忘れた頃に 君を忘れられない
そんな僕の〜♪


前から言おうと思ってました。
意味不明な歌のフレーズ??

…………………………………………
3月の後半に
およそ2万人の方に封筒が届いたようです


次回からの制作を予定しております




  

Posted by 砂川芳博 at 05:04Comments(0)TrackBack(0)お知らせ

2009年03月01日

新たな組織図

http://www.youshu.com/pdf/soshikizu_2008.pdf

21年度 新たな組織図

役員一新、各部会などの項目に目指す方向性など
意気込みが感じられます。

だいぶ若返ったと聞いてますが、私(51歳)より若い方は3人でした。  

Posted by 砂川芳博 at 16:39Comments(0)TrackBack(0)

2009年02月26日

2009年02月25日

吹雪花





吹雪花(ふぶきはな・南アフリカ原産)満開
雪も太陽光線もCO2も元気いっぱい (^^;
那覇市松川小学校北門下2/25 午後3時ごろ
暑すぎる2月 体感気温27度  

Posted by 砂川芳博 at 17:22Comments(0)TrackBack(0)沖縄風景

2009年02月21日

2月21日


1958年1963年1969年 首里高校が甲子園出場を果たした年。
当時パスポート持参で片道丸二日がかりの船旅だったそうです。
かつてそれぞれ活躍された大先輩方は今なお沖縄各界の星。
   

Posted by 砂川芳博 at 13:02Comments(0)TrackBack(0)日本の土

2009年02月20日

3月になれば…

今日という一日も、みなさま方にとって素敵な日でありますように。
 

3月なれば1日に県立高校卒業式などがあります。(もうあれから33年…)
その数日後に皆様の自宅ポストに会報が届くだろう。
それは養秀同窓会(石川秀雄会長元副知事)から発送されたものです。

4月になれば 養秀同窓会ホームページがリニューアルされると同時に
一層よみやすくなった「養秀ニュース」が皆様に配布されるでしょう。
それはきっと総会〜懇親会〜年間行事参加の呼びかけになるだろう。

5月になれば 養秀同窓会の平成21年度の総会・懇親会などがあります。
世代を越えた人のつながりができるでしょう。詳細は後日お報せします。

6月になれば23日に一中健児之塔で慰霊祭があります。手を合わせましょう。

7月になればきっと、経済も良くなって皆さんが幸せを実感できることがあるだろう。
  

2009年02月07日

那覇市与儀公園






『座蒲団』

 土の上には床がある

 床の上には畳がある

 畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ 

 楽の上にはなんにもないのであろうか

 どうぞおしきなさいとすすめられて

 楽に坐ったさびしさよ

 土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに

 住み馴れぬ世界がさびしいよ

       山之口獏  

Posted by 砂川芳博 at 06:14Comments(0)TrackBack(0)

2009年01月22日

養秀同窓会広報部会


一中健児之塔(首里金城町)脇の桜:1月21日


昨年暮れに首里高校養秀同窓会事務局の24期の座安さんから話があり、1月になって招集礼状が届き、1月21日(水)に今年初めて同窓会6部会の一つ広報部会に出席させていただきました。





  
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