2011年06月27日

おきなわ野球大好き

6月27日 

連日ときどき押し潰されそうなプレッシャーを前に
うまく息抜きしながらセブン~イレブン動いてます
おそらく8・11~1週間の休暇まで続くだろうが
これから40日間~酒などでストレス解消しながら
2011年の夏を乗り切ろうとおもうのであります


「おきなわ野球大好き」7月号が6月25日に出ました
36頁の第60回全日本大学野球選手権観戦記は圧巻!
東京ドームでの躍動的な写真撮影者は妙美丸さん
観戦記はあの謎の宮古東京福島いいとこ?大平氏
ま、とにかく軽い気持ちで読んでみてください♪ 
妙美丸さん デビューおめでとうございます~☆
すでにあなたはフォトグラファースタッフの一員です



あれ?「野球雑学」に見慣れぬ人が何か書いている
ドタキャンで締め切り二日前に二日会酔いで書いた
「日本の土」いい歌です あの頃は汚染もなかった
いま 異国の土は拾わん方がいいかもしれない~♪



「おきなわ野球大好き」 9か月連続で発刊できてます~☆
来月は10号記念です が 台風の影響で記事が…
それよりも広告です。広告収入だけで成り立っているこの本
県民はじめ多くの皆さまのご理解とご協力をお願いいたします
  

Posted by すながー at 16:22Comments(0)TrackBack(0)おきなわ野球大好き

2011年05月27日

執心ならぬ終身鐘入

執心ならぬ終身鐘入

ミスをしでかしました
養秀同窓会 終身会員様

終身会員とは…
同窓会年会費1000円を30年間納めてそれが3万円に達した方
または一括または数回で支払った金額が3万円に達した方

もうこれ以上 同窓会費を納める必要はありません

すばらしい方々ばかり

なのに

今回間違って会報誌を入れる封書に振込用紙を入れるミスをしでかしました


同期では

当蔵在の王家の末裔さま

石垣名字だった川越在の姫様…ほか数名
 
たいへんごめいわくおかけしました
(要は振込用紙を破棄すればいいだけですけど…)

後日(昨日)おわび状を発送させていただきました

誠にすみませんでした

穴があったら入りたい

鐘があったら入りたい


ほんとに入りました~がーん


終身鐘入



中にいます 反省してます…

だるま寺 5月25日 

なので…総会交流会 いけません 悪しからず  

Posted by すながー at 13:22Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2011年05月15日

養秀同窓会総会

平成23年社団法人養秀同窓会総会

平成23年度の社団法人養秀同窓会発行の「会報『海邦養秀』」が出来上がりました。およそ2万部を住所および生存が明らかになっている全ての一中・首里高校卒業生の同窓生の皆様へ送付いたします。16頁のその内容は同窓会及び母校のこの一年間の様子やこれからの行事の案内、昨年の百三十周年記念行事の報告など読み物多彩です。5月27日には総会がグラキャンで開催されます。その案内も兼ねて遅くとも20日までには皆さんのお手元に届きます。午後4時からは吹奏楽部の演奏会、その後の総会、6時半からの世代を超えた交流会ではグラキャンの料理食べ飲みほうだいで2500円です。ぜひとも気軽にご参加ください。さらに6月23日には一中健児之塔で66年目の慰霊祭が行われます。できるだけ参加協力のほどよろしくお願いしたします。

一番のお願いは、同窓会員の多く皆様が会費を払っていただくことです。この先、財産収入だけを食い潰したら同窓会の将来はありません。母校への援助(昨年は周年事業を通して吹奏楽部への楽器寄贈も)は毎年必要です。学校と同窓会館の充実は首里高の伝統の証でもあります。お一人年1000円です。一中世代の大先輩方はかなりの高納付率です。何歳(いくつ)になってもやまない母校愛の表れです。5年分5000円一括とか大歓迎です。事務局で確実にカウントされます。なお30年分(3万円)に達すると終身会員となりそれ以上納める必要はありません。生涯で3万円を納めることは首里高校卒業生の義務といってもよいでしょう。同封の振込用紙を使って年会費のご入金のほどよろしくお願いいたします。  

2011年01月05日

首里高OB会正月野球大会


首里高OB会正月野球大会


メンバーにとって野球場こそが神社仏閣であり
礼節を重んじ一投一打にかける健康づくりの場所
11回8:6 先輩組の勝ち


 
私事センター前ライナーのヒットで
私のとっての新年が始まりました

打ちましておめでとうございます  

Posted by すながー at 21:38Comments(0)TrackBack(0)野球 甲子園

2011年01月03日

とうがにあやぐ

2011年の初めに
新年あけましておめでとうございます
ことしもよろしくおねがいします



正月の節目にふるさと宮古の歌を紹介します。

「とうがにあやぐ」は宮古島では日本国の「君が代」に匹敵する
「宮古の国歌」とも言われるスケールの大きな歌です。

2011年~は宮古と宮古出身者の時代のような気がします



1、御主が世

 大世(うぷゆ)照らしゅうず まてぃだだき国ぬ国々島ぬ島々
 輝り上り覆いよ
 我がやぐみ 御主が世や根岩どぅだらよ

  (この世を照らす太陽が国という国々や島という島々を
  照らしていく。私の尊い御主人様は根の生えた岩のように
  どっしりとこの世界をしっかり守ってくれる)

2、宮古のあやぐ
 
 春ぬデイグぬ 花ぬ如(にゃー)ん宮古(みゃーく)ぬあやぐやすうに島
 糸音(いちゅに)ぬあてぃかぎかりゃよ
 親国(うやぐに)がみまい 下島(すむずま)がみまい
 とぅゆましみゅうでぃよ

 (春のデイゴの花のごとく宮古の唄は島で紡ぐ糸の音の様に
  あまりにも美しいから沖縄本島にも八重山にも伝えていきましょう)

3,家運繁盛

 十四日(とぅかゆーか)ぬ お月だき十五日ぬゆお月ぬ如(にゃー)んよ
 上ずかぎぬゆずかぎ ぬゆずかぎ 此ぬ根ぬ家んなよ

 (十四日のお月さまの様に 十五日のお月さまの様に
  上る美しさ 昇る美しさがあるよ この根強い家にはよ)

4.お正月
 
 かぎ正月ぬ参たりゃどぅ 大世や人ぱい諸作物満作みるくゆがふよ
 年さ重びぅてぃ八十八(やすつやーつ)まうわりさまちよ

 (おめでたい正月が参られたので この世と共に人も栄え
  農作物は豊年満作 幸せな世の中だよ
  年を重ねて八十八までも健康で長生きしたい)

5.子宝

 黄金白銀(くがになんむざ)ぬ 大家(うぷや)まいやぎたんつくぃ満て
 俵ぬ山まいくらびゃならんよ
 子宝(ふふぁだから)どぅ生しぶら宝どぅくぬ宝よ

 (黄金白銀の立派な大きな家までも やぎたに付いてあふれんばかりの
 俵の山も比べることは出来ない
 子宝を生み育てたこの宝こそがこの世の宝だよ)

6.結婚祝い
 
 此の大家柄や根岩ぬ如ん 昔(んきゃーん)からぬあらうからぬ
 根ぬ家どぅりゃよ
 夫婦根やふみ島とぅなぎぱやからまちよ

 (この家柄は根岩のごとく昔から元々続いている家柄だから
  夫婦で力をあわせてこの根を島のある限り守って栄えさせて下さい)

7、夫婦相和

 松木が葉やマンすうんざぎむぬ枯り落ずきゃまい前向どぅりよ
 ばんたまい宮古となぎ前向どぅすうでぃよ

 (松ノ木の葉はうらやましいものよ
  枯れて落ちる時も向かい合って落ちているよ
  私達も宮古のある限り向かい合っていようね)

8、子孫繁盛

 黄金扇やイラヨマン すぅら拡ぎマンクヤイクマーサイカよ
 根や一つ(ぴてぃーつ)すぅらや百々つ(むむつ)此ぬ根ぬ家んなよ

 (黄金の扇は末拡がりしてこそ扇と言える様に
   根は一つ 枝は百(無数)であるよ 家族というものは)

9.慶事を祝う

 ぷからしゃや今日(きゅう)だら いさうしややマン今日さいがよ
 ぷからしゃとぅ いさうしやとぅ うつまずりよ

 (喜ばしさは今日ですよ 嬉しさもまた今日ですよ
   喜ばしさと嬉しさが同時にやって来ました)



とうがにあやぐ
よかったら聴いてみてください。

  

Posted by すながー at 01:23Comments(0)TrackBack(0)とうがにあやぐ

2010年12月24日

栄冠は君に輝く

栄冠は君に輝く



阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」も古関メロディだが、やはり夏の甲子園の定番ソング「栄冠は君に輝く」はすばらしい詩と曲である。何度聴いても飽きることなくなにか人の心を揺さぶるものを感じる。 それこそ歌の力である。最近の寿命が短かすぎる流行り歌にはみられない。文語調の歌詞もまたいい。今年の忘年会用カラオケマイブーム。  

Posted by すながー at 10:40Comments(0)TrackBack(0)野球 甲子園

2010年12月10日

エルザの大聖堂への行列

ワグナー作曲 歌劇「ローエングリーン」第2幕より
エルザの大聖堂への行列
この曲は1974年(昭和49年)、ちょうど31期が高校2年の頃、首里高校吹奏楽部が全国大会で金賞を取ったときの自由曲と聞いている。36年前。いいもの(曲・詩)は何年たっても色あせない。

  

2010年12月09日

創立百三十周年記

国学創建二百十年
沖縄県立第一中学校・首里高等学校
創立百三十周年記念祝賀会

   ホテル日航那覇グランドキャッスル首里の間
   2010年12月10日

すごい祝賀会でした。
いい話をたくさん聞きました。
あたらしい楽器での
吹奏楽の演奏はすばらしかった。
「エルザの大聖堂への行列」など
なつかしい演奏が聴けた。感動した!

いい歌、驚きの場面もありました。
見るもの聴くもの すばらしい!

祝賀会 参加してよかった。土産もたくさん…


特別出演に女優の由美かおるさんと数学者の秋山仁先生




乾杯の音頭は尚弘子さんでした


突然の女優の登場に場内が慌てふためく


女優とツーショット!


80代の現役一中健児


万歳三唱

  

Posted by すながー at 23:37Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2010年11月19日

沖縄の野球はじまり

 沖縄に野球が伝わったのは今から120年前にさかのぼる。1980年発行の首里高校・養秀同窓会記念誌『養秀百年』によると、1890年(明治27年)5月に首里高等学校の前身、当時沖縄尋常中学の最上級生が京阪地方への修学旅行に出かけている。
 一行は大阪、奈良と廻り、京都の第三高校(現・京都大学)へ立寄り大歓迎を受けたという記録が三高の校内誌にあるらしい。当時の沖縄は琉球王府時代に北京の国立大学へも合格者を出す最高学問所である『国学』から『沖縄(首里)中学』に変遷して10年ほどしか経ってない。初めて沖縄県になって唯一の高等教育機関が首里中学である。
 それはさておき、その沖縄のエリートたちが京都で見たのは広場で球と棒を使った競技「ベースボール」である。沖縄の生徒たちはさぞ感動したらしく、三高の学生たちから野球に関していろいろと質問するなど実際に野球の指導も受けている。
 野球規則なども学び、そして三高からボールとバットのお土産までいただいて沖縄に帰る。5月に修学旅行先で野球に触れ、その年の10月には校内の運動場で紅白試合をしていたというから当時の生徒らは京都から持ち帰った野球を気に入っていたことがわかる。修学旅行先で三高のボールとバットがなければ沖縄の野球はあと何年遅れたことか。感謝する次第である。1890年(明治27年)10月、その紅白試合が沖縄での野球の始まりとなる。
 当時、県立沖縄中学は一つしかないから「一中」とは呼んでない。20年後の1910年に第二中学(現・那覇高校)」ができて初めて「一中」「二中」と区別して呼んだ。ということは沖縄で初めての対外試合は「二中」ができた100年前ということになる。(師範学校はあったが野球をやっていたかどうかは定かでない)
 2010年の興南高校の全国大会甲子園春夏連覇は沖縄に野球が伝わって120年目の快挙だった。また一中と二中の対外試合の始まりからちょうど100年目の出来事ということになる。沖縄の野球の神様は私たちに粋な計らいをしてくれた2010年である。
補足だが沖縄で最初に野球を始めた学生たちは県内指折りのエリート学生ばかり。昔から野球は頭を使うスポーツなのかもしれない。野球っ子の皆さん、勉強もがんばろう  

2010年11月14日

第11回首里高:那覇高 野球対抗試合

11月14日(日)、沖縄セルラースタジアム那覇で
第11回 首里高等学校:那覇高等学校
対抗野球大会大会が開催されました。
結果は次の通り

◆OB戦
那覇高OB 0000000━0
首里高OB 041012×━8

◆現役戦
那覇高校  000000010━1
首里高校  00200000×━2



  

2010年11月14日

沖縄の野球はじまり


 沖縄に野球が伝わったのは今から120年前にさかのぼる。1980年発行の首里高校・養秀同窓会記念誌『養秀百年』によると、1890年(明治27年)5月に首里高等学校の前身、当時沖縄尋常中学の最上級生が京阪地方への修学旅行に出かけている。
 一行は大阪、奈良と廻り、京都の第三高校(現・京都大学)へ立寄り大歓迎を受けたという記録が三高の校内誌にあるらしい。当時の沖縄は琉球王府時代に北京の国立大学へも合格者を出す最高学問所である『国学』から『沖縄(首里)中学』に変遷して10年ほどしか経ってない。初めて沖縄県になって唯一の高等教育機関が首里中学である。
 それはさておき、その沖縄のエリートたちが京都で見たのは広場で球と棒を使った競技「ベースボール」である。沖縄の生徒たちはさぞ感動したらしく、三高の学生たちから野球に関していろいろと質問するなど実際に野球の指導も受けている。
 野球規則なども学び、そして三高からボールとバットのお土産までいただいて沖縄に帰る。5月に修学旅行先で野球に触れ、その年の10月には校内の運動場で紅白試合をしていたというから当時の生徒らは京都から持ち帰った野球を気に入っていたことがわかる。修学旅行先で三高のボールとバットがなければ沖縄の野球はあと何年遅れたことか。感謝する次第である。1890年(明治27年)10月、その紅白試合が沖縄での野球の始まりとなる。
 当時、県立沖縄中学は一つしかないから「一中」とは呼んでない。20年後の1910年に第二中学(現・那覇高校)」ができて初めて「一中」「二中」と区別して呼んだ。ということは沖縄で初めての対外試合は「二中」ができた100年前ということになる。(師範学校はあったが野球をやっていたかどうかは定かでない)
 2010年の興南高校の全国大会甲子園春夏連覇は沖縄に野球が伝わって120年目の快挙だった。また一中と二中の対外試合の始まりからちょうど100年目の出来事ということになる。沖縄の野球の神様は私たちに粋な計らいをしてくれた2010年である。
補足だが沖縄で最初に野球を始めた学生たちは県内指折りのエリート学生ばかり。昔から野球は頭を使うスポーツなのかもしれない。野球っ子の皆さん、勉強もがんばろう  

2010年05月28日

平成22年度 養秀同窓会総会絵巻

5月27日木曜日、ホテル日航那覇・グランドキャッスルにおいて社団法人養秀同窓会(首里高校)の平成22年度定時総会が開催されました。写真を見ながらダイジェストでご紹介いたします。我が31期生も平日午後にも関わらず6名の参加を勝ち取りました~☆すばらしいです。

感想ですが、時代はすでに、これまで同窓会を担ってきた昭和一桁~20年代の先輩方から、今回首里高校29期生(我が1年の時の3年生)の活躍に見られるように、昭和30年代生まれ~へと移行しつつあります。年齢的に当然ですが…。「130年の伝統・国学から数えて一学校で日本一古い?…210年の伝統の継承」…など…次世代へとバトンタッチの準備をこれから行いたいものです。



総会の前に「沖縄初の外交官・田場盛義」などの
ご講演をいただいた又吉盛清(せいきよ)先生
パワーポイントを使っての先輩方の中国への旅、ありがとうございました!





平成22年度定時総会~審議へ


石川秀雄会長(7期)のあいさつ



審議の様子



田端前会長へ感謝状が贈呈されました


総会の司会は座安英明事務局長(24期)


交流会の司会は安谷屋真理子さん(23期)


幕開けの舞は神山典子さん(24期) 平良千代子さん(24期)


首里高等学校 山入端惠子校長先生(24期)あいさつ
長い一中・首里高校の歴史に中で初の女性校長です!


首里高等学校職員の元気印・喜舎場やよい先生(女子空手部顧問)


一中世代も80路半ばへ


瑞泉同窓会でしょうか?


乾杯のあいさつが10分くらいのおおらかさ




圧巻!29期生有志による「芸者ワルツ」





首里高校PTA+垣花教頭によるダンス


一中同窓生による勇壮で格調高い応援歌



首里高校5期前後による応援歌


15期の仲間たち



23期生(「アラ還」だそうです)


~おつかれさま~

養秀会館にその他の130枚ほどの写真データを預けてあります・
  

Posted by すながー at 21:40Comments(5)TrackBack(0)養秀同窓会

2010年05月16日

残された学徒隊の遺書

 多くの勤皇隊員・通信隊員は昭和の初めこの世に生を受け、小学校の時に日中戦争(1937年・昭和12)、中学校のときに太平洋戦争(1941年・昭和16)を経て敗戦(1945年・昭和20)を経験した昭和一桁の世代である。
 その間に皇民化教育・戦時教育を受け、國のためなら死を恐れない人間に育てられた。その彼等が、1945年年5月に分散配属される前に、両親に宛てにしたためた最後の死を覚悟した決別の手紙が遺書として残っている。
 戦後、豊見城村保栄茂(びん)の壕から発掘されたが、2年の歳月の間に地下水に侵され腐食し判読不能になったものが多かったが、判読できるものは生存者・遺族に返還された。判読できないものは一中学徒隊資料展示室に保管されている。
  続きを読む

Posted by すながー at 06:36Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2010年05月15日

会報「海邦養秀」完成!



社団法人養秀同窓会 「会報」平成22年5月15日発行
今回は16ページです。3面だけでも掲示します。
皆様のお手元には5月21日頃届く予定です。
年会費千円は母校の支援事業などに使われます。
よろしくご協力を願います。




総会は5月27日4時からです。
交流会は6時半から2500円でグランドキャッスルのビッフェ料理が堪能できます。
芸能・余興も見応えあります。例年55歳以上(28期より上〜一中世代は多いのですが
若い世代はいまいち…
我々31期もそろそろ全体の幹事を行うべくその年齢域に達してます。
たとえば10年後、母校創立百四十周年ころには、
養秀同窓会全体でも中心的役割を果たすことでしょう。

伝統の継承は大事!


  

Posted by すながー at 15:17Comments(0)TrackBack(0)海邦養秀

2010年04月11日

「沖縄セルラースタジアム那覇」落成記念特別試合

11日、日曜日に行われた新生奥武山野球場・「沖縄セルラースタジアム那覇」落成記念 首里高校対那覇高校特別試合は、両校のほぼ全生徒職員にPTA、OBなどのほか多くの野球ファンも交え主催者発表で約8000人を集めて賑々しく行われました。




外野も含めて約3万人収容とされている同スタジアムは、県内ではさすがにナンバー1の広さで壮観でした。きょうは内野席だけでも約半分は入ったのではないでしょうか。




開会式では翁長那覇市長が、スタジアム落成記念と伝統ある両校の球史を讃えるあいさつ、始球式もナイスボールでこなし、伝統の一戦が始まりました。



試合の方は、初回に先制した首里ですが投手陣がピリッとせず、四球がらみにエラーも随所で出て六回を終わって2:6で那覇がリード。後半は乱打戦になり結局6:14で那覇高校の圧勝となりました。



今回、同窓会を通した那覇市の計らいや学校OBなどの多くの方の支援が実り、球児たちはすばらしい新球場でプレーできることが実現しました。



全校生徒の大応援団で逆に萎縮したのか、きょうはエラーと四球が多かったので、首里は夏に向けて練習のほとんどを投手陣の強化とバント処理などの細かい守備練習に費やしてもいいのではと思いました。


ともあれ大きなイベントが終了しました。さすが伝統校同士、両校とも3千人規模の大応援団に大きな旗頭にたくさんの幟、横断幕、ブラスバントの演奏も出て応援合戦はさながら那覇・首里祭りのようで華やかでした。




すでに全国でも高いレベルになっている沖縄勢、興南・糸満・小禄・嘉手納・水産・沖尚、八重山勢に負けない練習を期待します。ひと昔前と比べて練習環境、支援体制、対戦できる相手、すべてにおいて沖縄は恵まれています。いっそうの奮起を期待します。

  

Posted by すながー at 21:36Comments(0)TrackBack(0)野球 甲子園

2010年04月10日

一千の健児

  一千の健児
一、 
一千の健児の腕は鳴り 声は奥武山動揺す
溢るる勇気を抑えつつ 待ちに待ちたる敵の軍
砕きて撃ちて奥武山の 礫(つぶて)となさん時のまに

二、
轟く声の音凄く ふるえる旗も勇ましく
南海島の晴の場所 激しき戦は起りたり
正義の軍に敵やある 真一文字に攻め落せ


  震天動地

震天動地は一中の
栄えある歴史を物語る
雄傑腕に敵はなし
敵必勝の夢破れ
辛酸ここに極まりて



一中・首里高校の野球の古い応援歌は10曲以上はあると聞いていますが、上のような勇ましい歌ばかりです。明日は新生・奥武山原球場で「待ちに待ちたる敵の軍 砕きて撃ちて奥武山の 礫となさん」を実行してきます。  

Posted by すながー at 22:33Comments(0)TrackBack(0)野球 甲子園

2010年03月24日

首里vs那覇 対抗試合

現役生の対抗試合ですがすでにOBが燃えています。
球史紹介などのセレモニー、応援合戦もたのしみです。
4月11日(日)入場無料です。
3万人入っても大丈夫だと思います。


  

Posted by すながー at 16:46Comments(0)TrackBack(0)野球 甲子園

2010年02月27日

65期生の卒業式

沖縄県立首里高等学校第65期生の卒業式は平成22年3月1日に執り行われます。卒業生のみなさん、おめでとうございます。また、3年間の学園生活の中、慈しみ優しくときには厳しく生徒のみなさんをご指導、教育してくださった先生方、職員の皆様、そして惜しみなく生徒をサポートして愛情をそそいだご父母・ご家族の皆様にも心から敬意を表しお慶び申し上げます。34年前に首里高等学校を卒業した先輩として、当日卒業生全員に配布される同窓会会報『震天動地』の企画編集に携われたことを誇りに思います。

  

Posted by すながー at 17:58Comments(0)TrackBack(0)養秀同窓会

2010年02月12日

震天動地

「震天動地・しんてんどうち」は、1918年当時の山口沢之助校長の揮毫により、誕生した応援団旗の言葉。「海邦養秀」と共に先輩から後輩に受け継がれている精神文化の一つです。首里高校生及び卒業生の心意気として、社会の大地を歩むよう祈願して、今度母校の卒業式向けに配布する「会報」の名称といたします。

…………………………………………………


戦後、首里高校が甲子園に出場した時も伝統となった「震天動地」の大のぼりが登場する。養秀健児の心意気である。 扁額「海邦養秀」が精神の象徴だったら、大のぼり「震天動地」は県立一中生にとって青春のシンポルであった。それはあたかも首里や那覇の大綱曳で各町が持つ旗頭(はたがしら)が参加者や観衆の血を湧かせたように、生徒の士気を大いに鼓舞した。 

一中には白地に赤く横一に中の字を書いた応援旗があって、ふだんはそれを使用していた。またリーダーたちはその小旗を使って拍子をとっていた。だが、いざ本番になると応援団長が震天動地の大のぼりを持ち出すのである。それは生徒にとっては軍旗みたいにも見え、応援歌の“御神体”にも映った。

この大のぼりは大正7年(1918年)山口沢之助校長の揮毫になるものであるが、その時の状況を当時の応援団長宮城敏男は次のように記している。

「応援旗に何か書いてもらおうと思って、その揮毫を山口校長に講堂でお願いした。「なんと書くか」と間われたが、こちらも決まった文句を持ち合わせていなかった。先生はしばらく考えておられたが、ヨシ!と自信たっぷりで筆を執られた。一筆ごとに息を頬一杯におふくみになって一気に一字を書き終るとパッと息を吐き出された。かくして一字一字と歴史ある「震天動地」は墨痕鮮やかに生れたのであった」
(養秀百年「大正期」より)




52年前 阪神甲子園球場




最近の「震天動地」  北谷公園野球場


  
タグ :震天動地

Posted by すながー at 22:13Comments(0)TrackBack(0)震天動地

2010年01月01日

海邦養秀のタオル

尚温王の書~海邦養秀のタオル



しっかりした生地と美しい書がプリントされています。

私にとって立派すぎて顔など拭けません(-_-;)

なので壁に飾っています。額に入れたいくらいです。

千円です。一中・首里高校創立百三十周年事業の資金造成です。

学校と同窓会の事務局で扱っています。協力しましょう。

\(^◇^)/  

Posted by すながー at 08:15Comments(0)TrackBack(0)海邦養秀